石原大介君の訃報に接して

この年になってたいがい人の生き死にには慣れたつもりではあったけれど、それでも俺よりも若い、いい若い衆が死ぬのはちょいとつらいもんが、ある。やはり、まだある。
石原君とはフォーラム上で私信を何度かやり取りしたのと、今年のポエケットに川元緋呂子と連れ立ってやってきたのとが、唯一の接点だった。物静かではあるけれど精悍な顔つきをした、よく澄んだ力のあるいい眼をした、言うなれば今時には珍しいくらいの「いい」若い衆だった。川元嬢に促されるようにして、蘭の会ブースにたむろしてた俺と、何か初対面の挨拶だけをもごもごと交わしたくらいだったか。ブースで販売していた佐々宝砂の個人誌に、著者のサインを入れてもらったときにうれしそうにしていたのを、今になってちょいと思い出してしまったが、後はあんまり記憶がない、いずれ生きてる限りどこかでまた会うこともあるだろうと言う生者特有の思いあがりは、かくも人の記憶をあいまいにするものか。

いずれにせよ、遅れ先立つ世の習い、だ。
あっちに俺が行った時に、今度は少し先輩面をして迎えてくれればそれでいい、もっとも、俺が行く先と、彼が行った先が同じところであってくれれば、というのと、果たして俺が明日行くのか、何十年先になるのかというのは、また別の話になるのかもしれないけれど。

合掌。
南無阿弥陀仏