赤ん坊の生まれる日

山田がわらじを脱いで久しい現代詩フォーラムに、盟友佐々宝砂が『チアーヌさん「かわいい匂い」に関する私見http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=22389というタイトルの「私見」と本人は言い張っているけれどもどう見たってやっぱりこれは詩評だろ、見たいな文章をのっけていて、これがまたいろんな人々の間で喧々諤々と、主に母性とはなんなのか、みたいな問題で取り上げられていたりするのだった。
俺も一応隅っこのほうにこっそりと「あえて何も言わない」、などと今から思えば言わずもがなのコメントつけてポイント入れてたりするのは、やはり佐々の「フォーラムの総合ポイントランキング2位を死守したい」という悲願のささやかな一助のつもりだったりもするのだが、いい詩評であることは間違いないと思うのでぜひご一読のほどを。
これほど盛り上がっているのだから、俺も一発便乗して詩評のひとつも書いてみればいいのだろうけれど、何せ作者が「山田さんが本気で、わたしのことを無責任で覚悟のないもの書きだと思うのであれば、どうぞわたしの詩など読まないでください。わたしはどの詩もわたしなりに本気で書いていますが、そう感じられないのでしょう?だからそんな風に言うのでしょう?それならば、そんなもの読んでもしょうがないでしょう?」などと評書いたこっちが「え?」とか言いたくなるほどプリミティブな逆切れぶりを見せてくれた方でもあるし、なんとなく気がすすまねえなぁ、などともごもごといってみたりもする今日この頃だったりするのだが、実はこの詩の評を書けない理由はもうひとつあったりするのだ。
ご存知の方はご存知だとは思うが、うちの妻はただいま妊娠中で、予定日は来年三月だったりもするのだけれど、さらにいえば彼女か彼かはまだ知らないその子は一番上の男の子とは一回り以上離れた我が家の第四子でもあったりして、先日フジテレビの「トリビアの泉」でやってた「2003年度までの人口の推移から推測すると1000年後だかにわが国の人口は二ケタ台になる」という恐るべき未来を回避すべく、ひたすらわが国の出生率向上に尽くしていたりするわけでもあるのだが、先日の夕食後のひと時、妻がせり出し始めた腹をさすりさすりしながら言うことには「この子は今までの子とは違って実家ではなくって近所の病院で産むことになるのだから、あなた、一度出産に立ち会ってみれば?」などと。
なんともはや空恐ろしいことを言うものではある。
俺は即座に飲みかけの食後のコーヒーのマグカップを置いて丁重に妻の提案をお断り申し上げたのだが、その夜の妻はいやに執拗であった。

この項続く。