からんころんぽとんでさようなら

9月30日の土曜の夜に、俺の祖母のサワ子さんが亡くなった、89歳だった。
通夜をやって葬儀をやって斎場へ行って、もともと小柄で華奢なつくりだったけれども、小さい骨壷一つと中くらいの骨壷二つ、しかもそれを白い布で弁当か何かのようにまとめて包まれているという、非常にコンパクトになってしまったサワ子さんがやっと家に戻ってきたのは31日の2時過ぎだった。
じゃあこれから納骨に行きましょう、と喪主であるところの俺の従弟に促されて、親父と埼玉在住の弟を乗せて、従弟の車の後について寺に向かった。
寒々とだだっ広い本堂でお経を上げてもらって、ああこれはあれだな、永代供養というやつだ、俺の母親のときは確か四十九日が済んでからだったという記憶があるのだが、地方によって、あるいは宗派によってそれもいろいろなんだろうなあ、などと、とりとめもなく考えていられるくらいに長い長いお経で、〆は俺の大好きな(大好きとかそういうもんか?)蓮如上人の「白骨の御文」だったのだが、これで宗派はばればれである(笑)浄土真宗だよ、でもここはお東さん(浄土真宗大谷派)ではなくってお西さん(浄土真宗本願寺派)なので、坊さんが御文を読むときの節回しが、いつも聞いてるのとはちょっと違ってたりするのだけれど。
じゃあ納骨堂へどうぞ、と坊さんに促されて、本堂の外の納骨堂に向かったころには日もとっぷり暮れて、薄暗い蛍光灯の明かりの中、10人も入れば身動きできないような、小さな骨壷を載せた蓮の花型の台座とその奥の中央の仏壇と、その両脇には位牌が所狭しと並んでいる狭いお堂の中で、またもや読経だったのだが、坊さんの言うことには「今度のお勤め(お経のことだよ)は存外短いから、皆さんもう順番に焼香してくださいね」言葉どおり、最後に家の親父が焼香するかしないかの間にお経は終わってたのだった。
「じゃあ、今から納骨してもらいます、喪主の方からどうぞ」
坊さんが蓮の花型の台座から骨壷を取り上げると、その台座の底にはぽっかりと穴が開いていて、俺たちは交代でサワ子さんの遺骨を箸でつまんではその穴の中に落としていくのだ。
すっかりコンパクトになったサワ子さんは箸でつまんでも頼りないほど軽く、穴の中へ落としてやると、からんころんぽとんと乾いた音を立てた。喪主の従弟がからんころんぽとん、おばたちがからんころんぽとん、俺も箸でつまんでからんころんぽとん、従妹の連れ合いがからんころんぽとん。俺の弟がからんころんぽとん、順番の最後にうちの親父がからんころんぽとん、をやっても、骨壷の中にはまだ骨が余っていた。
「もう皆さん、お済ですか?」そうきいてから坊さんは喪主の従弟に骨壷を渡して、穴の上でさかさまにして振るように促した。残っていたサワ子さんがからんころんぽとん。骨壷の底を覗き込んでは何度か穴の上で骨壷を振って、最後に骨壷の底をぽん、とたたいて、それでサワ子さんはすっかり、納骨堂に納まってしまった。
「じゃ、これで納骨は終わりです、ここもまあお墓と一緒ですから、たまには参ってあげてくださいね」と坊さんが言って、軽く合掌した。
さようなら、サワ子さん。